製造業の仕事に役立つシンプルな目から鱗の知識の記録方法を教えます。

文書の形式や見栄えを気にしないこと

書類を作成する際の問題点についても触れておきたい。多くの方々はWindowsPCならWordやEXCEL、Powerpointなどを利用していると思う。これらは原稿用紙、表、白紙に図や文章を書くツールである。どれをとっても、その中に思考を効率化する機能はない。そして、これらの書類を生み出すことになった関係書類との関係を結びつけることはできない。書籍の最後には参考文献が掲載されているが、一般的な仕事の書類にてはそのような配慮は少ない。したがってどの書類ファイルも独立した扱いしかできない問題がある。また、なんでもEXCELの表に文字を埋めたがる人も多い気がします。表は縦横の項目を何にするかは大変重要である。表の中を埋めようとすると、埋めることができないことに直面する。或いは無理やり埋めようとする。いわゆるRDBが表と表との関係でデータを蓄積するが、その形式に当てはめることが難しいデータがある。要するに、人の思考を表の中に整理するのは、どのような場合でも可能ではないと言うことだ。したがって、表だけに整理の形式を委ねる考え方はよろしくない。

見た文書や絵に直接コメントを引き出し線で記述するのが一番後で見てわかりやすい


 ファイルサーバに保存された欲しいファイルを見つけることも難しい。これも問題である。先にも述べたように、いつでも普遍的な分類などは決められないからである。更に、過去のデータを修正して用いることも行われている。これも問題だ。過去の書類はその当時の条件や環境、考え方の中で作成されたものであり、一旦、ファイルサーバに保存したものの原本は修正できないようにすべきだと思っている。作成された時刻に記録された文書である。このことから、作成された書類はそれを参照、コピーする際には、原本とは異なる形式(イメージ、PDF)で取扱うべきだと考えている。したがって、写メでも撮って、その絵にコメントを書き、絵として保存するのが良い。後で、絵を探せば、そこに書いたアイデアは見ることができる。

知識の記録へのヒントがここにある


 知識の記録方式のアイデアがここにある。それは過去の書類でも“見た”対象であること。その見たことは将来も編集されてはいけないこと。更に、どのような部分を見て、気づきを得たかを記録するために、その部分を記録する必要がある。私は、その部分を座標値で扱うことにした。座標値を用いることで、人が見た対象の部分をデータとして記録するのは一般性がある。2次元である必要はなく、このアイデアを実装する場合には、3次元空間の座標値を見た対象の部分として場所を記録することとしたのである。そうすれば、ものづくりで利用されている3DCADシステムのモデルにも記録することができる。バーチャルリアリティで表示されたデータにも座標値をもって気づきを記録することができるのである。この方法を特徴点による知識記述と呼ぶこととした。これを知識記録の方式としたのである。これを用いて概念的な記述と蓄積をする方法をここでは説明しています。

DXを実現するにはデータ管理とメモの取り方を変更すれば低コストで可能となる。

私のメモの取り方とデータ管理

さて、自分のメモをどのようにとっていたかを紹介し、そこでの問題点をお話ししたい。会社にいた頃はシステム手帳に全てを記録していた。一冊の手帳の中を、仕事のテーマ毎に分け、ラベルを付与してその中を時間軸に追記していた。あとで振り返って何かを思った場合には赤ボールペンで、そのページに追記していた。会社を離れてからは、evernote に同じように仕事のテーマで分類し記録している。これはすでに10年くらいやっている。インターネットの記事もそれを貼り付け、新聞の電子版の記事もevernote に記録している。しかし、PCで自分で作成した文書ファイルをどのように保存するのが良いだろうかと考え、Dropboxに保存を始めた。使い方としては、evernote は会議録と他者の資料。Dropboxは自分や取引関係者の資料と使い分けている。
 このようなことを行なっていると、文書と会議録が分かれてしまい、常にファイル探しをすることになってしまう。これは今でも続いている。これはメールでも同じで、仕事の内容をメールでやりとりすると、その時々の内容はメールに残ってしまう。わざわざテキストにして、Dropboxにおくのは手間である。メールの添付ファイルも問題である。添付ファイルもいつか忘れてしまい、Dropboxのなかを探して途方に暮れたりしている。

メモはイメージデータと一体とすればデータ管理が用意となりDXに役立つ


 人の考えたことには、気づきなどのメモ、テーマに関する文書。作成途中と完成文書がある。インターネットで見たものには記事、動画、写真、などがある。自分のカメラで撮った写真や動画もPCの中にある。これらはまとめると、全ては気づきと見た記事である。これを考えたこととその対象という言い方で抽象化している。
 結局、自分の考えたことの記録と考えた時に見たものが別々になっていることが、大きなストレスになっていると分かった。これらを一体として保存できることが必要だと考えた。KJ法でポストイットに書いて断片的な考えたことと、その整理の結果得られた文書ファイルはバラバラに扱われてしまう。ポストイットは捨てられてしまうことが普通だろう。ポストイット同士の関係性についても、最終の文書ファイルには記録されないことがある。つまり時間をかけて考えたことを、その時だけの必要性だけで破棄しているのである。
 語られたこと、結論に至る論理、ストーリーなどが消えてしまっているのではないかと考えている。写真を見ても、動画を見ても、本を読んでも、その時にあること(対象)に発見や気づきや考えが生まれる。それをその対象に記録することができれば、その時考えたことを思い出すことや続けて考えることができるはずである。これを実現することが知識の蓄積となるからだ。これができることで、作られた文書、インターネットで見た記事などを参考にして、新しい意見や思想やサービスなどを創造的に作り上げていくことのできるi思考環境だと考えている。
そして、これを実現する方式を知識の蓄積方式だと考えている。

これについてはイメージデータの登録方法をお読みください。

企業のビックデータ活用とDXの考え方

昔の紙のファイルと同じで、まだ、紙とバインダーの方が見つけやすい

 私はすでに10年近くも、タイトルにあるこのようなことを考えている。それはものづくりの仕事のIT化を企業で担当してからずっとである。これまで、本当に知識とは何か? 技術とは何か? ノウハウとは何か?に始まり、そもそも言葉とは何かや、なぜ人は物事を忘れてしまうのか?なぜ、突然に思い出すことがあるのか?人に伝えるには文字でないと難しいのか?Youtubeのように動画になっていくのだろうか?自分のPCに徐々に乱雑になっていくホルダーとファイルの姿を見ながら、何回も整理し直しても解決できないことに特に苛立ちを覚えながらも、みんなはどうしているのだろうかという疑問を抱いている。結局のところ、10年前のファイルなど見ることもないからといっても、消去できないのは何故なのだろう。それでも、本当にたまには過去に考えていたことを知りたくなることがある。その度に何時間も探しまくることを諦めれられない。そして、やっぱり、今でも当時の課題が解決できていないことに呆れるばかり。こんなことを人間はずっと行っている。どこかで課題の解決を諦めたのか、それとももっと重要なことに考えや仕事が移り、その思考の場所に戻れなくなってしまうのだろうかと。
 それは紙とえんぴつで記録していた30年前までと、今日のようにITが進歩した時代の記録方式が変化していないのは大変おかしな事であると思うからである。IT技術に振り回されて、人の生産性は本当に高まったのだろうかと。余分な情報が見え過ぎて、気づいたら何を考えていたのかと悲しくなることが多い。人の思考スタイルになじんだ方法が必要だと考えたからである。良かったら一読してください。
 私達は結局のところ手書きをデジタル化しただけじゃないのだろうか。確かに昔からの紙のバインダーは減った。しかし紙であったがゆえに、置き場に困ることから、その文書の保管期限を決め、ファイリング担当を決め、必要なことと、そうでないことを工数をかけて選択をしていた。今はといえば、いくらでもデジタルデータは保存できるために、文書(データ)管理は大変ルーズになってしまった。さて、この昔と今日の方法はどちらが良いのだろうか?ちょっとしたメモでも20年前のメモが捨てられない私には、今日の無制限ともいえる記録の方法が気に入っている。これはコンピュータの恩恵である。一方で困ったことが起こってしまった。それは、探せないという問題である。かつては、その場所にバインダーが無ければ、もう焼却されたものと素直に理解できていた。しかし今日は、どこかにきっとあるはずであるとスッキリとできなくなってしまったことだ。ゆえに、どのように記録すれば後から過去の思考を見つけ出せることができるのだろうかということに興味を持ってしまったのである。

メモの方法についての勉強


 あの時からずっとこのテーマを考えることを楽しむようになってしまった。そんな中で最初に知った先人は南方熊楠先生の存在だった。この先生の執念や情熱も探究心も凄まじさのある博物学者であったようだ。そもそも博物学という言葉はその時初めて知った。恥ずかしい体験であった。関心が湧いて、その後、和歌山にある記念館も訪問した。もう1人が川喜田二郎先生。さすがに、先生のKJ法は若い会社時代に教えていただいた。実際にカードで実務に使っていた。最後にもうひとりの先生。知的生産の技術で有名な梅棹忠夫先生である。この3人の諸先輩の書籍が私の近年の思考を変えたと思う。では、50年前に出版された先生の本にある方法は今日どうなったのだろう。先人達の思想をその後私達はどのように進化させることができたのだろうか?私はこのように疑問を持ち、IT技術と関係させて解決方法を研究してきたのである。

グローバルものづくりのSQCDデータ項目の全体定義

 最初に手掛けたことはものづくりの仕事の中での気づきをQCDに分けて記録することや、製品開発から生産までの業務をセットメーカーから部品のサプライヤーまでグローバルな業務に用いることのできる業務定義体をRDBに定義した。これはA4バインダで1冊分にびっしりとkeyと属性項目を記述してみたのである。どこまでの詳細化を行うかについては、前職で経験していたエンジニアリングの粒度で記載した。いわば、ものづくりデータのマスター化である。品質、生産性、リードタイムだけでなく、在庫、原価、工程、作業、検査、物流など考えられるマネージメント対象を網羅させた。この時、気づいたことがその後の考えの原点になった。
多くの分野の詳細化を進めていくと、断片しか日常的に捉えられていないことが良く分かった。
世の中のものづくりシステムは、このような理由で分類の見直しやテーブル構造を修正してきている。その時、気づいて項目追加とソフトの改造をしているのはこのことが要因なんだと分かった。例えば、品質管理、物流管理、生産工程管理、設計管理、生産管理など個々のシステムが個別に開発されている。異なる分類や粒度を持つデータを扱っているので、データの連携などは不可能になっている。それでも、そのことを抜本的に構築し直すのは容易ではない。この状況が30年も続いている。この先、このことをどのように解決するのかを早急に行う必要がある。デジタルトランスフォーメーションDXという取組は、このようなデータモデルの見直し無くしては進まない。

DXを進めるならば、この全体定義は必須である。

 私は大胆にも、この壮大なデータモデルを設計してみたのである。その後、このデータモデルをいくつかの企業に紹介したことがあった。しかし、それは残念ながら理解されなかった。というよりも、全体を役割とする責任者がいなかったのであった。本来は情報システム部門の全体としての機能だと考えられるのであるが。
もう一つの問題は、それぞれのシステムは、今、業務として運用していることのデータが扱われていることである。つまり決まっていることだけが、そのシステムの対象になっている。ものづくりだけではないと思うが、仕事は日々変化していくものである。そして管理も詳細化されていくものである。そうでなければ、その仕事は効率性やスピードにおいて進化していないことを意味するからだ。であるから、システムはすぐに改造が必要となる宿命にある。しかし、人はこの困難さを避けたがるものである。これにより、仕事は硬直化し、皆で諦める風土がはびこることになる。だからDXだと騒ぎたくなる。DXの考え方についてはこちらをご覧ください。

全体最適とは一体なんだろう?疑問を持つべし


さて、良く使われる全体最適という言葉も、その言葉そのものが曖昧である。どこまでが全体だとするかはどのように決められているのだろうか?それは地球最適とでも言えば、なんとか範囲が共有できる気もする。このように私達の社会は、どんなに頑張って定義しても部分的になるだろう。また、どんなに深く考えてもまだまだ知らないことがあるのである。
つまり、明確に定義ができない対象をシステム化するのであるから、データ構造変化の自由度の高い柔軟性のある方法を見つけるしかないということが私の考えの基本である。しかし、既存のデータを利用できることも必要である。
このように仕事のデータモデルを考えることは、人の思考プロセスに踏み込まなくてはいけない。そして、それをデジタル化するには、思考の記録方法をどうすべきかを考えなければならない。つまり、コンピュータに知識をどのように記録するのかを考えることになりました。

このような考えのもと、開発したCKWEB2についてはこちらから資料を請求いただけます。

ものづくり企業のDXの取組をトヨタの生産技術改革を例にご紹介します。経営者必読です。

DXを進める際にマネージャが推進すべきこと

DXによる業務革新をとIT業界では色々な取組みがされているようです。そもそも、IT技術は人の仕事の生産性向上が目的であると思っています。表面的には企業の売上を高めたいとか、効率的に事業運営を進めたい等の指標が気になること路です。

しかし、企業は人なりと言うように、組織の人々が効率的に仕事ができ、組織の意思決定が迅速に行われることだと考えています。

その為には、先にIT技術がありきではないと言うことも意見としてありますが、IT技術を使い倒して何ができるかという着眼も必要なことだと思います。

トヨタ式で言えば、まず、社内の無駄な仕事を見つけ、廃止すべきだと言うのが先で、ITはそのあとでも良いとの方も社内には見受けられました。

無駄な仕事は組織の中で見つけることが一般的であると思います。ところが、DXの意図は、組織を超え、更には企業を超えた視点での革新的発見にあると思います。

一つの組織だけでは解決することのできない根本的な取組をテーマにする必要があります。そうでなければ、部分的なシステム構築を継続することになり、システムは乱立、非連携のままになってしまうからです。

自分たちで必要な要件を考え、SIerに丸投げしない

しかしながら、残念なことに、日本は、情報システムの企画提案、要件定義までをアウトソーシングの風習に浸ってしまっています。

社内の情報システム部門だけにDXの取組責任を命じても、社内の大きな課題を共有できる段階までまとめあげることは難しくなっているのではないでしょうか。

これは、もう30年くらい、このような取引関係の仕組みに、システムベンダーもその下請け開発企業も浸ってしまっているからです。

IT企業には大小合わせて多くの企業が存在しています。ちょうど、製造業における中小企業が多く存在すると同じような形になっているのです。

今からすべきことは、少しづつでも、DXの企画、仕様を社内の人だけでまとめあげることだと思います。

私がトヨタ自動車にて行ったことや得たこと

私は、生産技術に27年間従事して、自動車組立ラインの設計や工場建設、多くの新モデルチェンジへのラインや工程、設備の新設や改造を経験してきました。

特に、新モデルにおける製品の生産設計を設計部門と協力して進める構造設計の検討にも長く従事したことで、製品設計と生産技術と製造部との仕事の流れを習得することができました。

人の仕事は、それぞれの部門の役割の達成が中心となり、部門間にての性能、品質、コストなどで意見がぶつかりあうことが多くありました。

このぶつかりが製品の開発と生産には大変重要なことだと思っていました。ぶつかり合うことを当たり前の仕事の進め方と社員が理解していることはお互いの不足している思考、技術の明確化と共有化に多いに役立つことになるのです。

自部署の技術不足の認識が次のモデルの為の生産技術的な開発テーマにノミネートすることになります。設計部門にもいつまでに、この生産技術開発を行うのかの旗を掲げ、逆にプレッシャーとして懸命に取り組むことにしていました。

このように、お互いの部門が責任を持って、課題を解決する姿勢は、ぶつかり合う組織間の連帯意識の醸成に役立っていると何回も思ったことがあります。

昔、先輩の1人が、仕事は改善することだとおっしゃっていました。改善することこそが仕事だと言う意味でした。その後、私はぶつかり合うことこそがまず、重要なことだと強く認識するようになりました。それもフラットに。それによって改善のネタが見つけられるからです。

トヨタ生産方式の改善は、まずは、日常管理の中で標準を作り、その標準とズレが発生したときに、すぐに気が付く状態にして置くことが第一歩です。在庫管理においても、置き場の区画線を明確に床に記すことはその為です。

エンジニアの業務の見える化をする為に必要なこと

では、現場のようにものが見える状態ではなく、計画部門の仕事の見える化は何をすべきだと思いますか?

それは、計画部門の仕事を進める際の問題点を見える化することから始まるのではないでしょうか?問題点のない仕事が進んでいるならば、ロボットにいますぐにでも置き換えることができるはずです。

人の意見がぶつかり合うことは、推進上の問題点が存在していることを示しています。問題点にはいろいろなことがあるはずです。S ,Q ,C,Dと言う分類に包含されると思います。

私たち生産技術の各部は、それぞれ、一回のモデルチェンジにおいて、3000件の問題点をバインダーにA4用紙をファイルして、工場と設計部署を毎日のように行き来して仕事をしていました。

この3000件の問題点を全て解決しなければならないのです。更に、その進捗を生産管理部門が全体進行役を担っていました。製品開発と生産側だけで問題解決するだけではなく、調整役としてのこの機能は何社かのコンサルタントを行ってきた経験からも、他の企業にはないものです。

結局、製造現場における問題点は、安全、品質、生産性などに区分され、対策管理のサイクルが回ると同じように、計画部門の考える仕事においても、問題点が管理され、その解決のために、対策進捗が管理される仕組みが作られていました。

コンカレントエンジニアリングが推進されるためには、関係部署における課題や問題点の社内共有が必要で、それぞれの部署の問題点がオープンにされなければ進まないと言う当たり前のことを本当に真剣に取り組んでいたと思います。

人の仕事の品質を高める為のDXをまず先に行うこと

このような実際の業務を行うことにより、誰もが気づくことは、また、社内では同じ問題や同じような問題点が繰り返されていることにあります。それも、対策が不十分であったために繰り返されてしまうのは大問題です。

製品開発と生産側の部門において、このような素直なぶつかり合いを避けているのは、言葉は良くありませんが、隠蔽体質になっていると思うのです。

残念なことに、大手企業の業務のミスが、隠され、何年も経過してからの、隠蔽や指摘された検査や認証、品質問題などが後を立ちません。ISO9001は本当に機能しているのでしょうか?

認定取得しただけで、運用面が疎かになっていては、本質的な目的を見失っていることになってしまいます。私たちの計画業務の仕事は、考える仕事なので、その問題点を消すことも簡単です。しかしながら、実際は対策しなければ、必ず再燃してしまうことを意識すべきです。

このように、人の仕事の品質をまずは確かなことにするための仕組み作りをDXとして捉えることが大事であると思います。問題点の社内共有の仕組みであれば、特殊なIT技術を必要とすることではなく、今日であれば、すぐにでもWebシステムでグローバルな問題点管理の仕組みを立ち上げることができるはずです。

難しいIT技術を採用することがDXではないと思います。これまで、人が属人的に行っている仕事を社内共有することが第一歩だと思います。

私も30年くらいIT開発に携わり、いろいろなシステム提案を行ってきております。その中でも、問題点管理システムは一番重要であるもので、トヨタの中においても、ずっと維持されているシステムになります。

製造業のみなさんが一番心配することは、製品を購入していただくお客様のとこで発生する製品の機能や品質問題だと思います。

このことは企業の経営リスクになる一大事なことだと思います。物事の取組には当然、優先順位を付けなければいけないことが良くあります。売上をあげることとお客様の品質問題解決のどちらかが優先度が高いかは考えるまでもない自明なことです。

しかし、この当たり前の意思決定が、特定の組織の中だけで、問題認識され、優先順位が決定されてしまうと、間違った決定を下すことが良くあります。

人の仕事は、お互いに牽制されなければいけません。組織もお互いに牽制されなければいけません。それは、悪意を持って牽制するのではなく、人は弱いものであり、個人、一組織の責任に任せすぎると、担い切れなくなった時に、弱さが出てしまうことを皆で助けあうために行う牽制です。

ものづくりで、一番重要な機能品質の確保を必死に行うとなれば、当然、製品設計の製品構造に皆の知見を集約し、問題の発生しないための活動や業務が重要視されるはずです。

どんな天才であっても、生産現場の工程能力が守れることと守れないことを知り尽くすことはできないでしょう。したがって、ロバスト設計は大変重要な視点になります。

製品の設計も多くの分担により行われるでしょうし、エンジニアリング企業からの協力も得て行われるようになっています。何十年も設計を経験している人と、そうでない人の差は悲しいくらいの格差が設計図面に現れてきます。

このような避けることのできない実際の問題点を設計部門はどのように解決を行うとしているかが大事です。そして、それが、自組織だけで、解決できるかを良く考えるべきだと思います。

その点で、トヨタの開発段階の業務の活動や仕組みは、多くの関係組織を巻き込み、問題点を共有しなければ、進んで行くことのできない方式になっています。とっても当たり前のことですが、製品設計者は他部署から自身の作成したアイデアや図面に注文をつけられることは嫌がるものです。

しかし、トヨタの仕事は40年くらい前から、この嫌がる方式を当然の仕事のプロセスとして、各部門が認識して進めてきていることが大切なDNAとなっています。

知らないことを教え合う心構えをマネージャは率先垂範すること

教え合う関係により、設計の開発上の悩みや、生産側の困りごとを知り、それを知った上で、新しいモデルチェンジの設計には、その対策を取り入れようとする組織の姿勢はなかなか真似のできない習慣だと思います。

私もそれを何社かに提案指導しましたが、執念を持って進めるマネージャーがいないため、道半ばで諦めてしまうことに遭遇しました。一番の問題は、マネージャーが自身の言葉でその重要性を訴えていないことが多いと言うことです。

マネージャーは異動が多いです。部下たちが、マネージャーの思いをどれだけ受け取っているかですが、それが希薄なんだと思います。

企業の中の組織間の信頼関係は、特にものづくりにおける製品設計部門と生産部門ではとても重要なことです。これらが醸成されていない企業の製品は不安だと思うのは私だけではないはずです。

問題点管理システムの他に、考えるべきことは、設計部門と生産部門の間でのデザインレビューの進め方です。

ある企業では原価見積もりが決まったのちにデザインレビューを行っていました。おかしなことです。機能品質の設計構想が定まってから、原価見積もりすべきで、設計構想の段階からものづくりの意見を取り入れなければいけないのです。

企業風土・倫理観の改革(DX)はマネージャの仕事

このようなおかしなことに気づきならがも、手を打てないことこそ根本的な問題点なのです。感性のある人材が不足していることも要因でしょう。

しかし、長年、根本的な問題を解決できていないことは、人材育成が不十分であり、マネージメントの能力も怪しいと言わざるを得ません。

企業の中に存在している個別の問題点を束ねて、根本原因に行き着く活動、風土を作り上げなければいけないのです。

このような風土の企業は、製造現場の品質不良が多く、ラインストップも日常化しています。そして、このような問題点は解決されることなく、製品を手直しして出荷しています。

改善活動は形式化しており、本質対策までやり抜く文化が欠如して行きます。

結果的に在庫が増え、逆に欠品が発生し、相乗効果で、在庫が積み上がります。その在庫を減らすために、見た目で目立たない場所に分散配置して隠すことで問題から逃げようとすることをしてしまうのです。

製品開発に話を戻すと、図面検討プロセスを細分化して、何を検討するのかまで明確にすることが必要です。その検討が行えるためには、製品開発部門は、予定通り、検討に値する図面を作成しなければなりません。

時間がない、工数がないからと言って、安易に検討プロセスをスキップしたり、日程を遅らせることはご法度です。そのくらいに、日程の決め方も根拠を持って開発と生産とで合意しながらプロセスを決めることが必要です。

DXをやるには、その前に、このようにやるべきことが多くあります。それを考えること無く、ITツールを導入してもお金の無駄遣いになるだけです。企業の情報化投資が効果が見えないと言われている場合、ほとんどが、システムやツールやデバイスの購入だけの仕事をしているからに他なりません。

在宅勤務でのコミュニケーションをもっと効率よくできないかと思っている人へ朗報です。CKWEB2は文書の指摘や修正指示をダイレクトに絵に書き込むことで生産性を高めることができる全く新しいコミュニケーションシステムです。

現状のコミュニケーション方法の問題とは

多分、ほとんどの人はメールでコミュニケーションを行っていると思います。チャットも同じだと思いますが、自分の考えたことを相手に伝達する際にはメールに文書などの添付ファイルを添えてやりとりされていると思います。

セキュリティ対策のために、添付ファイルをパスワード付きで圧縮して、別途、パスワードをメールで伝達するのは送る方も受け取る方も大変面倒臭いことです。

受け取った添付ファイルもテレワークの場合、どこに保存されていますか?多分、多くの人は一旦、自分のパソコンに保存しているのではないでしょうか?

自分で、そのファイルを見て、コメントする際にも、メールにコメントを書いて、特に、文書のどこのことかを引用して返信する方もいると思います。

或いは、ファイルを印刷し、その紙に手書きで、ダメ出しを記入して、それを写メして、メールで添付し、送信したりしていませんか?

このように、メールというものは、生産性が良くないと思います。

現在のファイル管理の問題は何か

私はすでに10年近くも、タイトルにあるこのようなことを考えている。それはものづくりの仕事のIT化を企業で担当してからずっとである。

これまで、本当に知識とは何か? 技術とは何か? ノウハウとは何か?に始まり、そもそも言葉とは何かや、なぜ人は物事を忘れてしまうのか?

なぜ、突然に思い出すことがあるのか?人に伝えるには文字でないと難しいのか?Youtubeのように動画になっていくのだろうか?

自分のPCに徐々に乱雑になっていくホルダーとファイルの姿を見ながら、何回も整理し直しても解決できないことに特に苛立ちを覚えながらも、みんなはどうしているのだろうかという疑問を抱いている。

結局のところ、10年前のファイルなど見ることもないからといっても、消去できないのは何故なのだろう。

それでも、本当にたまには過去に考えていたことを知りたくなることがある。その度に何時間も探しまくることを諦めれられない。

そして、やっぱり、今でも当時の課題が解決できていないことに呆れるばかり。こんなことを人間はずっと行っている。

どこかで課題の解決を諦めたのか、それとももっと重要なことに考えや仕事が移り、その思考の場所に戻れなくなってしまうのだろうかと。

人の思考スタイルに合った知識の記録方式の必要性について

今後、この記事の方向性は知識の記録方式について私が考えていることを書き続けていくことにしたい。

それは紙とえんぴつで記録していた30年前までと、今日のようにITが進歩した時代の記録方式が変化していないのは大変おかしな事であると思うからである。

IT技術に振り回されて、人の生産性は本当に高まったのだろうかと。余分な情報が見え過ぎて、気づいたら何を考えていたのかと悲しくなることが多い。人の思考スタイルになじんだ方法が必要だと考えたからである。

良かったら引き続き、一読してください。