製造業のIoTは目的が大事、人の仕事の自動化が進まなければ効果は出ない。

 IoTやDXという言葉がメールマガジンなどに数多く登場している。いずれもIT技術で業務の自動化をすることだと思っている。自動化と言っても、小さな自動化に視点が向いていないか心配である。むやみにデータばかり取得しても、何か新しい発見があるかと言えば、科学的、論理的に説明のできないことが表現されるばかりではないだろうか。いかなる発見も仮説に基づいてなされるものと思う。

 したがって、何を知りたいのかを明確にし、その為に、どんなデータを取得すべきかを考えることが必要である。データを取得するセンサーはどこに配置すべきか、どんなサイクルで取得すべきかそれを他のどんなデータと処理を行うのかなどを考える組織とそうではない組織とでは、成果が全く異なるのは当然だと思う。

 もう一つはwhyだ。なぜそれを行う必要があるのか、本当に効果はあるのか、どれだけの工数削減になるのか、企業の生産性は30%以上向上するのかを考えるべきだ。まずやってみるということに反対はしない。しかし、やる前に分かることが多くあるはずで、なぜやってみようとするのかを問いたい。

 まずやってみようとというならば、何のためにまずやるのかと言う理由を明確にすべき。チームの意見が纏められない時にリーダーはこの言葉を良く使う。そんな時、リーダーには自分の金と工数でもやってみようとするのかと確認することにしている。この行動は、一種のマネージメントからの逃避である。

 なぜIoTがマネージメントの話になるのかと言えば、IoTの指標は工数低減であるからだ。工数と投資とタイミングの責任はマネジメントにある。IoTが進まないのはマネジメントの意識が希薄であるのではないか。それを担当に任せていても進むものではない。担当は自分の守備範囲を決めて仕事をするしかないからだ。マネジメントは組織や守備範囲を超えて仕事をするものであるからだ。

 IoTは組織横断的テーマを持たなければならない。組織と組織との間の考え方のつながりが属人的である。ベテランにより正しかろう判断で組織間の問題解決を行なっているのが現実である。


 IoTが自動化を組織間の問題解決に適応させようとすると、このベテランの判定を自動化する必要が出てくる。実際に行っていることが本当に価値があるのかを考え、価値が無いならやめればいい。価値があるなら、その方法の良否を分析することが必要である。重箱の隅のようなデータがばかりを比較していないだろうか、もっと大きな観点でデータを見ることで十分な結論に至ることもある。

 IoTは目的ではないのであるから、何を解決したいのかをしっかりと共有し、無駄な工数や投資を減らすことが必要だ。そして、この議論は一企業だけ進めることができないこともある。サプライチェーンの中での生産性向上を目指さなければ、目的が達成できないこともあり、実は、この達成できない目的が企業の生産性を低下させていることもある。例えば、品質の確保と維持がそれであろう。

製造業のDXに使える知識の記録には写真が優れている理由とは。

写真を撮ることは日常的で老若男女にて習慣となってきている。これは、記憶をするよりも記録をする方が楽であることが社会共通の認識となったのだと思う。
 もちろん携帯スマホにカメラが付加されたことと、それにテキストが書けて、他者と共有できるデバイスの役割が大きいことは言うまでもない。

 若い人の行動を見ていると店に行っても食事の写真を撮っている。服屋に行って試着時の写真を撮り、第三者的な観察をする。TVの画面も写真を撮って、後で皆と見て楽しむ。TVに映っている情報も写メを撮って記録する。手書きでメモするよりも、間違えることなくシンプルな方法である。

 私はスマホを一番使うやり方は、本や雑誌などの新鮮な記述や観点を写メして保存している。必要な場合には文字認識しテキストで保存している。これらのデータは、ckweb2 に保存している。CKWEB2の詳細はこちらから。
その後はカテゴリーに分類している。実はこれがちょっと面倒である。分類の中を時々眺めて、考えたことを写真の中に特徴点記述によりテキストを書き込んでいる。

 写真は同時に撮影時刻と撮影位置座標を記録してくれる。この基本情報が情報の検索に大いに役立っているのはスマホのアプリを見ていると良く分かる。

 しかし、私が写真を分類する時に、何かが基本的に情報が足りない。人は撮影しようと思った時に、なぜそれを撮影しようとしたのかを意識しているはずである。やみくもに撮影しようとは思わない。例えば、きれいな景色だなとつぶやいたら、景色というタグがその写真に登録するようにしたいと思う。これだけでも、その後の整理が効率化する。

 後で写真一覧を見て、これはなぜ撮ったのだろうかと思うことが時々ある。結局は、撮影した瞬間にその目的を記録しないと、後に面倒なことになるだけである。タグは間違いのないように付加したい、そしてそのタグがついたものを完全に全てを表示させたいのである。おおよそこんな程度の検索精度というのでは、信頼性が不足して活用できないからである。

 記録とは、その瞬間にその気づきを写真と共に保存できるようにしてこそ価値がある。だから製造業には写真の記録が必要である。

製造業のイノベーションを進めるための幼児教育のあり方とその後の教育とは

企業での人材の育成よりも、幼児教育から創造性と社会性を持たせる教育を公平に

企業に入ってから、基本的な対人関係や社会通念などを改めて教育することはおかしなことだと考えている。もっと、若い頃から、精神的な面を鍛え成長させる必要があるのではないだろうか?

ものごとに対して、自分の意見をもち、発言でき、周囲の意見との違いを理解でき、和を持てる人が社会に出てきて欲しいと思う。

このようなことは、幼児教育から小学校の期間で身につけるべきことと思う。そうでなければ、欧米の自由闊達な精神に遅れることを続けてしまうのではないかと思う。

弊社は知識の記録を研究しているが、知識を身につけ始めるのは幼児期から小学校の期間と言われている。どのようにして幼児たちは知識をみにつけていくのかを知ることは製造業の人材育成においても参考になると考えている。

幼児教育について考えたことがあるので紹介したい。躾や社会のルールではなくて、勉強をどのようにして教えることができるかを考えたことがある。それもスマホなどのデバイスを用いてである。

 幼児の教育は、社会の中で格差を生んでいる。小学校は義務教育なので平等に機会は提供されている。しかし、小学校1年生になる前には、字が書ける、数の足し算ができるかなどについても、既に差が出てしまっている。

 私立小学校を受験する子供達は、もっと進んだ学習を行なっている。或いは親が子供の勉強を見る時間を取れるのであれば、少しは進んだ学習を付き添ってあげることもできる。経済的に余裕があるならば、学習塾に通わせることもできる。

 しかし、今日は、両親共に働かないといけない家庭や片親家庭も多くなってきている。その子供達は保育園に預かって貰うことが多いと思うが、学習は進んでいるように思えない。このようなご家庭の子供達に、もう少し学習の機会を与えることができないかということが幼児教育を研究した背景であった。

 そして既に小学校の1年生時点で、学んだことの範囲に差がある。知識の記録は、結果として若い人達や子供達に利用されなければならない。それが国力をつけることになる。知識を利用する為には、幼児教育においてまずは、利用できなければ、それ以上の価値を期待できないと考えたからでもある。

 本題に入ると、昔も今も絵本がある。ビジュアルな分かりやすい物語を伝えてくれるものである。そこには文字はほとんどない。物の名前を覚えるにおいても絵である。嬉しさや悲しさを覚えるにおいても絵からである。やはり絵からでしか人は理解ができないということだろう。絵が共通の概念を伝えるものである。

 ものの名前は絵から学ぶ、数も絵から学ぶことができる。親から聞く音を覚えて名前を覚えるのだろう。そのうちに、音とひらがなとの一致を理解し、ひらがなの書き順を覚えるのだと思う。何も知らないことからひらがなを覚えるプロセスに知識の記録は役立つ必要がある。

 それには、幼児の興味や関心の先にブレーキをかけない方式であること。興味があれば、先へ先へと知ることができる教材でなければならない。疑問があれば、その説明がなされること。国語、算数、理科、社会の関係が区別されつつも、学ぶ順序においても既知の事の上での関係性と整合性が保持されていること。身についた知識にプラスαを加えた知識へと自動的に展開されることなどを要件として開発した。動きを必要なら動画を用いる。アニメーションも有効に使う。極力、選択肢による回答は避けること。などを知識の記録方式の上で研究し、適合性の確認をしたので、機会があれば、正式開発を考えている。

製造業の3DCADはエンジニアリング機能に転換すべき

CADは良い面と良くない面を持っている。ここで取り上げたいCADは、いわゆる3次元CADシステムのことである。自動車業界で3DCADが製品開発競争のツールとして議論がされたのは25年も前のことである。この頃は自動車が海外生産にシフトしていた真っ最中であった。この時に仕入先を海外の中で選択せざるを得ないこともあって、図面の受け渡しをCADで行うにあたり、海外で一般的な3DCADを自動車メーカーは選択をしたのであった。

 この選択は、その時としては正しい選択ではあったが、将来を見据えた時には正しかったのかと言えば疑問が残る。更に、私は今のCADの方向性は間違っているとの意見を持っている。

 何故ならばCADは描画機能だとの範囲に留め、本来のエンジニアの欲しい機能は別にあるとの方向でシステムを考えるべきだと思うのである。エンジニアは形の前に、構造、機構など力学、物理学、、などのいわゆるサイエンスを基本にしてアイデアを実現する職業である。その思考プロセスを自動化する機能が必要であり、それは決して3Dモデルではない。解析に3Dモデルが必要なこともが出てくるが、そのプロセスは、基本の構造や機構などの設計がかなり進んだ後工程の仕事になる。

 そもそもCADにはその背景の意図が表示されていない。描画機能のソフトでしかないにも関わらず、無理な方向性を売りにしているのではと解釈している。単に形を共有することだけのものとしても、その形を人や機械がそのデータ精度のものを作ることができない。できるとしても、そのような高精度の製品を人は必要としていないことが大多数である。そして3Dモデルをコピーするという機能があたかも仕事の成果のように錯覚させてしまうことも問題である。

 分かりやすい形式を主とする後工程の機能だけを持ったCADが、その前工程の機能を開発をすることは、素直な開発手順ではなく、既存機能のCADありきの開発仕様になってしまうだろう。このようなことから、CADはエンジニアリングシステムにはなり得ないのである。

 そしてCADを知識の記録という視点で捉えると、以上の意見から、CADは設計プロセスの後工程であるので、設計意図の記録の媒体としては知識の記録方式の候補にならないと言える。

 別の視点としてCADのCADモデルの使われ方を見てみると、ものづくりの工場では図面(紙へ出力されたもの)を用いている企業も多いと思う。 例えば、図面に製造指示が記載して使われている。設計変更は手書きを加えて現場に分かりやすい表現にて伝達されている。現場は工程は変更もある。納入時期の変更なども書かれる図面ではなくても、その関係書類として配布されている。

 CAD端末ではなく、生産現場に主要断面をつけての紙での運営する理由は、ソフトの投資以外に根本的問題としてCADは操作を身につけることが難しいことがあるからだ。とにかく面倒な操作である。それも操作方法を記憶の限界を超えているのである。
 また、必要な断面をカットし適切な指示をする必要があり、そのことを現場自身が行うのは難しいため、生産技術などの技術者が解釈を付与して指示を出しているのである。

 設計は主要断面をつけるので、その部分の指示漏れはない。生産側はいずれにしても、全体から加工のポイント、留意点を読み取ることは必要。紙や別の媒体に簡潔な記述が必要で、この媒体が存在し続ける。

 サプライヤにCADデータを渡すにしても、必要なCADデータのみを渡すこととするが、どのデータを渡すかは設計の責任で指定が必要。サプライヤの要求は自分の担当部品の周辺との関係を知ることのできるデータを渡して欲しいのである。ミスをしたくないので、出来るだけミスのないことを確認できるデータを欲しいのは当然である。しかし、どこまで必要なデータを共有することができるかは、人の判断に依存している。必要な断面もサプライヤ自身でカットして検討も行われる。すべてのことが製品の設計者だけで検討が完結しないのである。

 製品のサービスにおいては、報告書形式で伝達されていることが多い。しかし、製品設計者からは、図面に問題点を記載してくれることが対策の迅速化につながると思っている。図面は誰でも理解できて、特段のIT操作も不用であることが有意性がある。

 やはり人間は技術検討は2次元である。形式だけなら3Dで良いが、見た目だけを職業とする人は少数であり、多くの業務では断面による検討の方が時間を費やしているはずだ。社会の情報共有はデジタルであるかは別にしても、今後も2次元であり続けるのではないかと思う。

製造業のデータモデルとは?それは製造現場の緻密な分析をすることで定義できる

なぜ知識とBOMの関係を考えることが必要なのかであるが、それは、最初のデジタル化される情報は設計が作成するBOMであるからだ。これが、ものづくりの情報の原点であるからだ。そして、この原点を起点に企業の関係組織のデータへと拡大されていくからである。

 もちろんBOMが完成するのは設計が図面を描いた後半分の期間であるとの意見も出るだろう。しかし、部品の共通化、加工工程の改造をミニマムにして投資を押さえる、既存の加工技術を採用することで素早い製品化と品質の安定を狙うなどを考えるならば、既存のBOMのデータを活用して図面を作成する手続きが自然である。

 既存のBOMを設計者が活用するならば、部品表の品番や品名だけでなく、生産の状況や市場での品質、製造原価などを知りたくなるはずである。

つまり、大きなPDCAが部品表に始まり、デジタルレビュー、試作、生産、市場品質を経て、次期製品開発にフィードバックされなければならないはずである。BOMは企業で用いられる基本的な分類なのである。

 無機質な英数字を主とした表記のBOMを見ただけで、その形状や工程を想像することは誰でも可能ではない。自分の専門分野のことしか想像できない。そこでものづくりの知識や品質の問題をどのように記録するかを考える必要が出てくる。誰でも書き込むことのできる方法はなんだろうか。それは図面になる。CADではない。この理由については後述する。どんな機能の役割の人であろうとも、その図面にその知識を書き込むことはできるはずである。製造現場の人が図面に書き込みながら作業をする姿を見たことがないだろうか。

 些細なことかも知れないが、ものづくりに対して、現場の作業がどのような配慮により図面に忠実に行われているかを知ることは、図面を描いた設計者は知らなければならない。しかし、海外の生産など場所の遠いところでの現場に仕事は知ることも難しい。それを知りたいという意識を持てば、そのことを実現する方法を考えるようになるはずだ。企業の知識継承をするならば避けて通れないことでもある。

 結局、エンジニアがニーズを発見するには、現場で起こっている問題を知ることであり、問題を知ったら、その原因を究明することであり、原因が分かったら、その対策をすることである。そして、設計者は二度と同じ失敗を繰り返さないことである。良い設計者とは、人としての倫理観をしっかりと持った者であって欲しい。それには過去の失敗を社内で共有していなければ、安全と品質のマネージメントは機能しないであろう。