製造業のDX人材育成

かねてから思っていた問題を解決するために、IT人材の育成に関係することとしました。

近年のDX関係、特に製造業向けの宣伝、オンラインセミナーなどを拝聴して思うことは、目的がすこし不明確であるお話が気になっていました。

なぜ、そのDXを行う必要があるのですかという問いに残念ながら答えられないように思うのです。

特に製造業となると、自動車、建築、航空機、建設機械などは製品一個あたりの部品点数も非常に多く、そのために、生産工程も深く、多岐に分岐しています。

このような製品のものづくりには開発から生産までの一貫した思想というものが必要になります。

一貫した思想とは何か?この問いに答えることができなければ、良いDXシステムは構築できないのではないでしょうか?

思想とはものづくり生産方式における企業の一貫した理念になります。このものづくり生産方式を理解できていなければ、複雑な製造業の業務に答えることができないだろうと思います

もう一つ問題だと考えていることは、エンジニアリングを理解していますか?ということです。3DCAD=エンジンニアリングではもちろん違います。

生産スケジュールもエンジニアリングになっていません。部品調達における質と量とタイミングはどうあるべきかの理屈はどのように考えていますか?

エンジニアリングのQCDに関するトレードオフをどのように合理的に決定することができていますか?

現在の製造業は多くの未解決問題を抱えてきています。来ているということは、過去から乗り越えることのできなかった課題が沢山あるということです。

ベテランのエンジニアのノウハウで行われている業務もたくさんあります。しかしながら、その問題を解決できるソリューションを提案していただいていますか?

ものづくり日本であるから、ものづくりのシステムは日本にしか設計できないと思っています。

そのものづくり企業へDX提案するならば、それなりの経験と知識をもって語らなければ信頼されないのではないでしょうか?

ものづくり企業の企業人は解決しなければいけないことをいっぱい頭に留めています。そのいっぱいあることをできるだけ、大きな網をかけて一度に解決して欲しいのです。

そこで、製造業DXカレッジという講座を立ち上げることにいたしました。これまでのノウハウをぎっしりと詰め込んで、誰も説明することがなかった製造業のエンジニアリング課題について解き明かし説明したいと思っています。

カジュアルに参加できるNext製造システムセミナーもオンラインで開催中です。

ぜひ、こちらをご覧ください。皆さんのご参加をお待ちしております。

異なるシステムの連携はデータの粒度と分類体系が異なっていては生産性に寄与できない。

Eメールは氏名の下にテーマがある。では特定のテーマを全メールから集めるにはどうしたら良いのか。メールでは意見を集約できない。


ファイルはファイル名が意味を持つ場合や持たない場合もある。これでも同じような内容のファイルを検索できない。


データベースになると、細かい項目単位にデータを保存する。しかし、その上位の分類をどのようにするかは全くの自由である。これでは複数のデータベースは結合ができない。


つまり、思いつきのままで自由にデータを保存したり、やりとりして下さいというソリューションばかりである。


全体の分類をどうすべきか、データの粒度を、どのように整えるべきかとの検討がされずにソリューションが作られたからである。

この2つを曖昧にして、情報システムが人の仕事の生産性向上になるとは言えない。AIを活かすに於いても、意味のあるデータを準備しなくてはならない。


もし、今のままの雑然としたデータ群を対象に何の取捨選択もなくAIの処理のかけたならば、その結果を人は説明も推察もできないおかしなことを答えてくるであろう。

製造業のコミュニケーションのセキュリティ確保を確保するためにはメール以外の手法を採用すべき。

Eメールは広く社会に浸透した。便利であるが、この方法が知識の記録方式には大きな問題を与えている。

伝達することだけの機能が問題である。伝達だけを目的として使っている便利さに影でどのような問題があるか考えてみたい。

 仕事で用いる場合、相手に正しく理解して貰う為に、結構な長文となリ、伝達したいことに比べ時間が無駄となる。

 メールに自分の考えや相手の考えなどを伝達し合う事ができても、考え方の整理はメールを探しながら時間軸について再整理が必要。議論する人数が多いと大変手間がかかる。

 誰が先にメールの中で発した意見なのかが直ぐに分からない。

ファイル添付は、原本が何かを不確かにしている。社内のサーバにあるファイルでも、原本であることの管理が難しい。

 ファイルが原本だと思っても実際には相手に古いファイルを送ってしまっているかもしれない。相手は、最新だと思って、自社内のサーバに管理する。お互いにファイル管理が混沌としてくる。

 添付した原本のディレクトリが取得できず、自分の管理下(個人のPC)にコピーを保存する。結局、共有化が崩れていく。

セキュリティ面でも、メールは別管理となる。社外とどんなメールを交わしているかにおいてコミュニケーションの制限を設けるか、性善説にて自由とするかなどを、ポリシーが企業にて異なる。

 セキュリティポリシーの異なる企業間のコミュニケーションは添付ファイル送信するだけでも圧縮、パスワード設定などに手間がかかる。

メールは郵便と同じである。40年も経過した郵便のアプリであるEメールの仕組みは本当に今後も使うべきなのだろうか疑問に思う。

最後まで挑戦し続ける人材の育成を

挑戦は誰にもできる。それをやり遂げることは誰にもできることではない。

 一言で挑戦と言っても、その難しさはさまざまである。

 ここで、述べたいことは諦めないということだ。

 私は知識の記録方式ということをライフワークとしている。

 何社かの企業と連携したこともある。しかし、企業の方針はすぐに儲かるか?という点になってしまった。

 ならば、自社だけでやり遂げることと決めた。

 長く継続した研究は先行者優位である。世の中にすぐに受け入れられることを目標にはしていない。

 気合いだけを入れてこの研究に没頭してきたのである。

 そこにはGAFAの巨大化が私達の自由度ある時間を奪っているのではないかとの仮説を持ったからである。

 SNSが登場してからのITの方向性は変化してしまった。

 でも、それは自転車や自動車のように使わざるを得ない存在となってしまった。

 結局は、調べたいこと、知りたいことを獲得できるスピードが速いからである。

 挑戦は諦めないてはいけない。遠藤周作先生の生活と人生の話が頭から離れない。

 砂の道を歩きたいと常々思っている。自分を振り返った時に、足跡を残したいのである。

 アスファルトの道を歩いていたなら、振り返った時に足跡が見えない。そんな寂しい生き方で良いのかと。

 生活が安定していれば、チャレンジーとして足跡を残せることに取り組めるだろうと思う。

 そこで、別の意見もある。自分の代でできなければ(時間が足りないならば)、子供に引き継げば良いのだという意見である。

 挑戦したい事が実現が難しくても、諦めずに、子供にバトンタッチするつもりで取組めば良いのだと改めて思う。

 私達がどうしようもできないことは時間の刻みである。だからゆえに、諦める事になっている。

 挑戦をやり遂げるために、お金やその他のことが不足するなら、そこで挑戦を止める事なく、時間の経過を受け入れて子供に委ねれば良い。

 このように、挑戦に頭を使い続けることは人生において一番重要なのではないかと思う。