製造業の業務革新はドイツが進んでいる?

ドイツで仕事をされている人の話を聞くことができたので、感想をお話しします。

 industrial 4.0という言葉を聞いた事が有ると思います。ものづくりのフレキシブル生産、お客様による生産への要求などの実現を高度にITを用いてドイツを中心に10年前から取り組まれている戦略的構想です。

 現在は、コロナ禍ということもあり、ロボットによる食品加工や物流のAGVが非常に伸びているとの事。

 お話をお聞きして、一番思うことは、ものづくりについて日本とは大きく考え方を進歩させているということです。

 日本でも大手ロボット企業にては、高度な自動生産を行なっているところはあります。

 自動化についての考え方が日本はまだまだ投資対効果の天秤で投資が大きいと判断されてしまいがちで進みにくいテーマです。

 取組みの仕方も、特に中小企業が90%を超え、日本のものづくり企業の構成とドイツは近いのですが、中小企業をまとめて推進する力強さが印象的でした。

 日本はサプライチェーンの中でも、ものづくりの能力向上の結束は弱いと思います。

 更に系列を超えた中心企業をIT戦略でまとめあげることも進んでいないと思います。

 ドイツのようにITや自動化を進める時に振り返らなければならない事があります。

 それは、それらをなぜ行うのか?というこれまでの思考の整理とどのような考え方とするか、その方向性をどうするかなど未知の今後の考え方の整理必要になってきます。

 日本は過去の思考の整理をするにしても、個別の範囲の自動化やIT化になっている事が多かったのではないでしょうか?

 個別の判断においては投資対効果だけの狭い評価になりがちです。

 日本としてどのような方向になるべきかなどという事を一企業が考えることはないと思います。

 ものづくりは自動車を始めとして、裾野が広く多くの労働者が関係しています。

 その様な規模に合わせて、IT化や自動化を考える必要があります。セットメーカーは仕入先の力が向上しなければ成長は厳しい。しかし、仕入先の力を向上させることに力が入っていない。

 自動車は欧米から自動車運転車の火がつきました。

 彼らは自動車運転が実現できるかどうかではなく、自動運転にすべきであるとの強い意志で進めてきたと思います。

 実現する為には、どのような基礎技術の研究が必要なのかをずっと以前から考えてきたのだと推察しています。知識の棚卸しは随分前に終わっているのです。

 industrial 4.0においても、概念先行型で着実に進めていて、実現のために必要な技術開発を政府主導に始まり、民間主導にて幅広く展開されてきていることは素晴らしいことだと思います。

 周知を集め、企業、大学を超えて中心企業とも一体となり進んでいる姿を聞き、感心しました。

 日本人が知り得ないものづくり知識の広範で深い研究と技術蓄積が共有化されているはずだとも推察しています。

 私達の国は今後も個々の企業が協調よりも競争重視のままでは、ドイツのものづくりの仕組みには勝てないのではないかと多いに心配になったのでした。

最終組立における設計者のジレンマの解決方法

組立工程の視点から製品設計者が直面するジレンマをお話し致します。

 組立工程というものは、複数の部品から構成される製品を組立する工程もしくはは生産ラインを想像して下さい。

 子供達が校外学習で自動車の組立ラインの見学が行われているので、その生産ラインを思い出して見てください。

 ラインを外から観察すると、いかにも問題もなく、ものすごい速度で車が組立られているように見えると思います。

 部品を自動車に組立するには、その作業は大工さんの釘打ちを想像してください。

 釘を打つ際には肩の少し上あたりの高さの釘を打つのが一番楽な姿勢で作業ができる。

 これは自動車の組立工程での作業でも同じことです。

 しかしながら、車の中の作業や、車の床裏に組むサスペンションなどの組立作業は一番楽な姿勢で作業を行うことが難しい。

 設計者は自動車の製品構造の図面を描く時に、機能の実現以外に原価や品質、作業性など多くに生産ファクターに留意して線を描く必要があります。

 一方で、生産側にては、この解決できない作業性を設置や方法などを工夫して対策をする。

 しかし、設計でも生産側でも本質的な対策ができないことが多々あります。

 この本質的な対策ができない事について、どのくらいの満足度で双方が納得し合うかが、その企業のものづくりの到達度の高さを表すものと考えています。

 設計者には倫理観を持ち、どんなにあらゆる問題を解決したくとも解決できない問題が残るものである。

 その残問題を生産側の力で解決されているから製品が粛々と生産できているのである。

 先の組立ラインの素晴らしいものづくりは、生産側が設計者のジレンマを解決した結果である。

 このようなことを理解できない設計者にならないように人を育てることが重要と思う。

製造業の設計者の安全についての倫理観について

世の中はもので溢れています。今日は、ものの安全性と設計者の倫理観について述べたいと思います。

 大きなものは原発、化学工場、鉄道、航空機、自動車、建築、玩具、電気製品や小物に至るまで、安全規格は規定されています。

 ものの安全において、利用段階での安全性は一番気をつけなければいけないことは言うまでもありません。

 企業は利用者との距離が近く無ければいけない。近いとは敏感で反射神経が優れていて欲しいものです。

 お客様窓口を設置している企業は多い。しかし、お客様の意見や要望、苦情が安全に関してどのように関連するものであるかが判断できているのであろうか?

 多分、受付処理の機能となっていて、問題は、受付られた情報は、どのように社内展開されていくのかにある。

 神経がピントしていて末端まで伝達する能力は企業風土によっては、かなりの差がある様に思う。

 ものの設計者が一番心配することは、安全性であるべきです。しかし、ものが果たす機能の実現に偏重してしまうと、安全の配慮が疎かになるのである。

倫理観は社会生活の場面だけではなく、仕事をする際にも個人が保有すべき重要なことであります。

 まして、自分の設計する製品が市場に広く利用される設計思想においては、充分にチャックされるべきことです。

 人類は危険にチャレンジして飛行機を開発するなど、チャレンジも一方では人の役に立つ技術として大きく貢献をしてきた。

 しかし、墜落事故は無くなっていない。まだまだ技術の開発が必要なのです。

 原発は同じくチャレンジの要素が大変強いものである。しかし、未だどんなリスクが一般人にあるかは伝わっていない様である。

 あれだけの事故を起こしながら、想定したリスクに対して、原発の設計構造やシステムの中にどの様な対策が取られているのかが分からないのである。

 安全性は一般の人が理解できる様に説明されなければならない。

 プロフェッショナルな方だけが理解していても、起こりうる可能性が完全に対策できていると自信を持って言えるだろうか?

 要するに言い切れないことがあるはずだと思う。それは設計者が心配しながら図面を書いた段階で脳裏にあったことも含まれる。

 あれだけの規模の構造物と物理現象他の組み合わせの巨大装置が完全無欠であるとは思えない。

 同じ機能を設計するにおいても、設計者が異なると全く違う設計をすることもあるだろう。

 この様に人によって設計が変わること自体に、その製品の技術的な未熟さがある。

 全くの飛び抜けた製品が出にくい日本は、ある意味思考が保守的で安全を大事にしているからだと思う。

 しかし、一方で、危険が当たり前(素直に危険だと思うこと)であっても、対策が打たれないことも原発だけではなく他にもある。何かおかしな気がして仕方がない。

 市場に出てから問題を起こさない設計をするには、設計者が保有する技術力のほかに、何が安全で、どうすると不安全になるかを想像できる力が必要であり、その力は設計者としての素直な倫理観によって認識されるものである。

製造業の業務プロセスを守るようにするには。

仕事のプロセスを見直すことは重要です。マニュアルとは少々異なるものです。マニュアルよりもっと大きな手続きを対象としたものと思います。

 プロセスは手続きを記載して、順序立てて遂行できる様に記述したものです。

 関係部署にはそれぞれの役割があり、その部分部分にて決定する条件が関係しています。

 このプロセスが社内で規定されている必要があります。

 製品開発にて過去の設計図のコピー風土がはびこり、異なる部分を修正すれば良いという事になると、部署間の正しいタイミングでの調整が行われずに、大きな問題となることもあるでしょう。

 プロセスの規定は、仕事の効率化にも貢献し、組織における重点指向の変化によって、規定も見直しが必要です。

 しかし、紙に書かれた規定の場合は、規定の見直しそのものも、改訂のプロセスとしてしっかりと運営されていた様に思います。記憶に留めようとし、不安があれば文書を探すことを必ず行っていた。

 デジタル化され規定がサーバーに保管されるようになった今日では、日常的に規定が目に触れることが無くなっているのです。ここに問題が起こっていると思います。サーバにあるとだけ知っていれば、規定を記憶に留める努力をせずに、必要な時に見れば良いとの考え方になってくる。

 プロセスは、その手続きの内容についても規定がされるものです。どの様なことをどのように判断をし、どんな形で結論を出すかが規定されているはずです。

 つまり思考の順序を定め、仕事の取り掛かりが悩まずに着手できる。そして進め方が共有されているものになります。

 関係組織のどこかの部署が、自分たちだけで勝手に決めたという事になると、規定違反であるし、そもそも組織の役割認識が疎かになっていることの表れです。プロセス規定がサーバーに保管される事により、積極的に見ようとしなくなっています。

 このようにプロセスそのものも知識と言えます。そのプロセスも改善が進んでいく必要があり、ワークフローのようなシステムでは、柔軟性が不足すると思います。また、ワークフローの中にはプロセス規定がタイミング良く登場することが必要です。

 どのくらいワークフローシステムが世の中に広まっているかは承知していませんが、あまり受け入れられていないのではないでしょうか?

 しかしながら、IT化の拡大により手続きだけを守るだけの仕事は、今後も減っていくと思います。スピードを考えるならば、手続きを変更しなければいけないことが多いと思います。

 プロセスは規定されている必要がありますが、柔軟に改善され、組織間で、迅速に変更したプロセスを実行できることが必要であると言うことです。

 そのためには、プロセスを規定した理由が重要になります。その理由とては、ミスの防止、上司の承認手続き、コンプライアンスの確認などです。

 このような手続きに関する部分がIT化され、そのシステムの中で保証できるようになれば、プロセスの規定は修正されるものです。

 プロセスの中には業務推進上の問題が絶えず発生します。その問題を記録することも価値があります。

 プロセスの規定の中での判断をどのように行うかに役立ちます。

 そして、判断の事例を蓄積することは、判断の指標が変化したり重みが変わったりすると結論が異なることを意味しています。また、もう一つの重要なことは検索です。

蓄積された情報を瞬時に欲しいことだけを検索表示して欲しいものです。自分が欲しい情報を検索表示するようにするには何が必要かを考えて見てください。

弊社では、その点を強く意識してCKWEB2の開発機能に織り込みました。どのような方法かはこちらに開示していますので、ご覧ください。

 このような内容までのプロセスの規定と検索機能ができれば、仕事の生産性は向上すると思います。今後のIT化は規定の遵守と規定変更のシステム的な柔軟性が求められている様に思います。

知恵を出せる人は継続的にメモの蓄積する習慣を持っている

知恵を出せと言われ、いきなり何をしたら良く分からなくなる時があると思います。

 これはどのようにその言葉を受けとるかによって、思いの方向が変わるのです。

 出せと言われても、と考えたら、そこで思考は停止してしまいます。

 何かを絞り出さないといけないと思うことが、今後の生き方を変える事になるでしょう。

 今の時代はインターネットがあるので、検索すると本当に多くの情報が登場してきます。

 知恵を出す際に、求められていることは、新しいアイデアや考え方であろうと思います。

 インターネット上の情報は求めれている知恵を考える事に役立つものはあると思いますが、期待されている知恵に値する答えではないのです。

 社員がインターネットの調査結果を羅列して報告してきた事があります。

 本当にガッカリした事を覚えています。インターネット上の情報を提示されたことは、その文体や用いている言葉づかいや考える幅、深さなどですぐ分かってしまうものです。

 そもそも、上司もインターネットを検索していると考えれば、そのような行為が行われる事は不思議でならないですね。

 昔は図書館で調べるしか方法はなく、あとは人に聞くことの方法しかありませんでした。

 その結果、得られた情報だけで求められた知恵の答えではないことは容易に承知しているので、自分なりの考えを見つけるしかない。

 仕事でも生活においても、インターネット上には、解決したいことと全く同じことは載っていないのです。

 そのくらいに、世の中の発生する問題や解決したい課題は種類も大小も合わせて無尽蔵にある。しかも、それらは次から次へと新たなことが生まれてくるのです。

 法律や規則などとは違って、その様に通りいっぺんに決めれられないことばかりです。

 そのためには、知恵を出せる様に準備しておくことが必要で、メモを書くことを進めたい。

 いろいろな事象について、自分の考えを思いつくままメモにしておく。

 私は会社を辞めてからの15年間のメモを保有していますが、それを、時々、振り返って読むことを楽しんでいます。

 昔のメモに書いてあることが未だに解決していないことも多くあります。人がいる限り、考える対象のネタは尽きないのである。

 インターネットでの検索だけでは、知恵が出せる頭を鍛えることはできないのです。知恵は自分の獲得した知識の組み合わせから生むしかないのです。

 それは、一瞬にして思いついた事であっても、その前に、いろいろなことを考えた結果として異なる角度からいっぱい発想したことの成果であると考えています。